独立自尊と唯我独尊

あけましておめでとうございます。

本年も、またお話を続けていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

さて、慶應義塾の教育の根本をを一言で言えば、「独立自尊」ということになると思うのですが、意外に福澤先生がこのことばを口にされたことは多くありません。

明治31年、福澤先生は子息、福澤一太郎や弟子に新しい道徳から成る教訓集を作るよう命じました。「福翁自伝」の最後に「私の生涯の中に出来してみたいと思うところは、全国男女の気品を次第々々に高尚に導いて真実文明の名に恥ずかしくないようにすること」という一文がありますが、それを成し遂げるために命じた、ということでしょう。

これは修身要領として明治33年2月25日に時事新報に全29か条が発表されましたが、それを貫く基調となるべき項目を決めるときに出てきたのが「独立自尊」でした。

修身要領

さて、この「独立自尊」ということばで、私が良く思い出すのは「唯我独尊」ということばです。「天上天下唯我独尊」でお釈迦様が言ったことばとされていますが、「ただ私が一番尊い」というのでは、これは字義が変わってしまう。

ある仏教系の中学の校長先生と話をしたときに、この話にたまたまなって、「やはりこれは自分の価値を見い出すということにあると思いますね。」と説明されて、腹に落ちました。

「だから教育というのは、その子の価値を見つける手助けをするということが一番だと私は思うのです。学校というのはそういう場でなければならない。その子が自分の価値を感じて、これでいこうと伸びる手助けをする。教えることはできませんが、手助けならできるのではないかと思っているのです。」

学校がその子の価値を見つけることはできないが、機会を与えることはできる、というのはその通りだと思います。その結果として、自分が独立すること、自らの存在を意識してさらに努力を続けること、これは両方の言葉に共通して私が感じていることです。

結局、最終的には教育の場にどんな人間観があるか、ということがその学校の背骨であろうかと思います。大学受験の実績とか気になることはあるけれど、そういう背骨がしっかりしている学校であれば、それはそれで大変頼もしいと思うのです。

しかし、ブランドばかりを見ていると、ついそういう根本を見失いやすい部分があります。

子どもたちはいずれにしても今年の4月に中学生に巣立っていくわけで、家庭もまたそういう背骨をしっかり持って子どもたちを見守ってほしいと思います。

今年もよろしくお願いします。

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あけましておめでとうございます。
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